「いじめ」は「仲良くしろ」の弊害
いじめ問題が何年たっても改善されないのは
— ぽん@考え事 (@pon30motokei) 2017年1月24日
「いじめは本来無いもの」
「あると悲惨なもの」
って、前提があるからなんだよな。
だから、どこの学校も「いじめは無かった」って言うだろ?
全くもって、少しも、いじめが存在しない集団ってあるか?
いじめ問題で、学校関係者がいつも「いじめは無かった」って言うたびに「お前が決めることじゃないよ」って思う。
— ぽん@考え事 (@pon30motokei) 2017年1月24日
また「これをやったらいじめ」という基準も決められないと思うよ
そういう状況の中で、いじめ問題を改善するには、「いじめられる側が弱者」ではなく「いじめる側が弱者」と考えて、その点を教育すべきなんだよね。
— ぽん@考え事 (@pon30motokei) 2017年1月24日
「極端に他者攻撃をする人間は、精神的に幼稚で可哀想な奴」だと言う概念を子どもに教える必要がある。
あともう1つ、大事な事は
— ぽん@考え事 (@pon30motokei) 2017年1月24日
「友達をたくさん作って仲良くしろ」
じゃなくて
「自分が嫌だと思った奴からは離れろ、無視しろ」
って教育しないと。
自殺まで追い込まれたケースでも、普段はいじめっ子とつるんでるように見える時がある。
「みんなと仲良く」の弊害だよ。
「いじめる奴は痛いかまってちゃん」という概念が浸透すれば、呼吸するように人をいじめる子どもも減るだろう。
— ぽん@考え事 (@pon30motokei) 2017年1月24日
子どもは基本「ダサい事が大っ嫌い」なんだよ。
現状では「いじめられる側がダサい」ってなってるのが問題。
当たり前だけど、本当は、いじめる側がダサいんだよ。
「友達は多い方が良い」ってのは本当ロクでもないよ。
— ぽん@考え事 (@pon30motokei) 2017年1月24日
猿山のボスみたいな奴と、それにぶら下がる奴を量産するだけ。
本来は「自分が仲良くしたいと思った人と仲良くする」だけで良いんだよ。
基本、一人一人で良いんだよ、人間は。
その方が、本来のコミュ能力も養われるよ。